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高松地方裁判所 昭和61年(ワ)165号 判決 1987年12月02日

昭和六一年(ワ)第一六五号事件(以下「甲事件」という。)

原告

大川政明

大川智子

右原告ら訴訟代理人弁護士

佐野孝次

昭和六一年(ワ)第三一七号事件(以下「乙事件」という。)

原告

亡中山半四郎相続財産管理人 西山司朗

甲、乙事件被告

大川秀雄

大川須美子

右被告ら訴訟代理人弁護士

武田安紀彦

主文

一、1. 甲事件原告らと被告らとの間において、亡中山半四郎作成名義の(別紙)昭和六〇年八月一四日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。

2. 乙事件原告と被告らとの間において、亡中山半四郎作成名義の(別紙)昭和六〇年八月一四日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。

二、被告らは、乙事件原告に対し、別紙財産目録第一 不動産の部記載の各不動産(以下「本件各不動産」という。)について、昭和六一年一月二二日付遺贈を原因とする昭和六一年三月二四日高松法務局内海出張所受付第五四一号による各持分二分の一の所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1. (甲事件原告ら)

主文一項1、三項と同旨

2. (乙事件原告)

主文一項2、二、三項と同旨

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

1. 原告らの請求をいずれも棄却する。

2. 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 中山半四郎(以下「半四郎」という。)は、昭和六一年一月二二日死亡し、別紙「遺言」のような同人作成名義の昭和六〇年八月一四日付自筆証書遺言(以下「本件遺言」ないし「本件遺言書」という。)が存在する。

2. 半四郎には相続人のあることが明らかでない。

3. 半四郎の遺産は、別紙財産目録記載のとおりである。

4. 被告らは、本件遺言に基づき、本件各不動産について、昭和六一年一月二二日付遺贈を原因とする同年三月二四日高松法務局内海出張所受付第五四一号による各持分二分の一の所有権移転登記を経由している。なお、被告大川秀雄(以下「被告秀雄」という。)は半四郎の従兄弟であり、被告大川須美子(以下「被告須美子」という。)は被告秀雄の妻である。

5.(1) 甲事件原告大川政明(以下「原告政明」という。)は半四郎の従兄弟であり、同事件原告大川智子(以下「原告智子」という。)は原告政明の妻である。

(2) 原告夫婦は、半四郎の安否を憂え、各方面と折衝し、原告政明が身元引受人となって半四郎を養護老人ホームに入園させ、以来半四郎が七四歳で死亡するまでの七年間にわたり種々の生活上の面倒をみた。

たとえば、半四郎は右入園から死亡までの間に脳血栓で五か月間入院したが、原告夫婦は延べ九〇日間位夜も含めて付き添いの看護にあたった。

また、半四郎は、しばしば、突発的に老人ホームを抜け出しては原告夫婦方にきたが、そのたびに原告夫婦は半四郎の世話をした。

さらに、原告夫婦は、半四郎の株券、預貯金の通帳を預かり、税金等の支払いの任にあたってきた。

(3) 原告政明は、半四郎から四筆の田を賃借し、これを耕作している。

6. 乙事件原告は、高松家庭裁判所昭和六一年(家)第四五六号相続財産管理人選任申立事件について、同裁判所の審判により半四郎の相続財産管理人に選任された。

甲事件原告らと被告らとの間に本件遺言の有効性について紛争が存するところ、乙事件原告はその相続財産管理人としての職務を執行するうえで本件遺言の有効・無効の確定をはかる必要があるので、同裁判所(同年(家)第八〇六号)に本件訴訟提起をすべく相続財産管理人の権限外の行為の許可申立をしたところ、同裁判所は、同年八月八日本件訴訟(乙事件)を提起することを許可する旨の審判をした。

7. よって、甲事件原告政明は、特別縁故者及び賃借権者、同事件原告智子は特別縁故者として、被告らとの間において本件遺言が無効であることの確認を求め、乙事件原告は、半四郎の相続財産管理人として、被告らとの間において本件遺言が無効であることの確認及び被告らに対し、本件各不動産について、その所有権に基づき各持分二分の一の所有権移転登記の抹消登記手続をすることを求める。

二、請求原因に対する被告らの認否

1. 請求原因1ないし4、5の(1)、(3)、6の各事実は認める。

2. 同5の(2)の事実中原告夫婦が半四郎を養護老人ホームに入園させたこと、その際原告政明が半四郎の預貯金・株券等を一時保管し、この中から半四郎の病院費用、看護費用等を出費することになったことは認めるが、その余は不知ないし争う。

三、被告らの抗弁

1. 本件遺言は、半四郎が遺言書の全文、日付、氏名を自書し、押印してなしたものである。

2. よって本件遺言書は真正に作成されたものであり、本件遺言は有効である。

四、抗弁に対する甲事件原告ら及び乙事件原告(以下「原告ら」という。)の認否

抗弁事実は不知

五、原告らの再抗弁

本件遺言は、次のとおり、半四郎が心神喪失の状況下においてしたものであるから、その意思に基づかないものとして無効である。

すなわち、半四郎は、生涯結婚をすることもなく、親戚・近所とのつき合いもほとんどせず、昭和四七年ころからは全くの独り暮らしとなった。そして昭和五四年一一月二五日、栄養失調症、肺結核・老人性痴呆症で入院し、翌昭和五五年二月二五日退院と同時に養護老人ホームに入園し、昭和六一年一月二二日同ホーム在園のまま死亡したのであるが、半四郎は、戦後の農地解放のころから精神に異常を来たすようになり、右入院の以前から、「取られるから。」といっては昼間でも雨戸を閉め、釘を打った板を家の回りに立てて家にこもり、天井を竹槍で突いたり、突然上京して三木総理大臣に面会すると称して警察に保護されるなどの奇行がみられたうえに前記老人ホームに入園した後も「ごみ箱の中に大便をする。」「手で大便をいじる。」「徘徊する。」等の行動や著しい記憶障害がみられるなど典型的な老人性痴呆症の症状を示し、死亡五か月前である昭和六〇年八月ころには心神喪失の状況にあったものである。そして、本件遺言書は、一応形式上自筆証書遺言としての方式を具備しているものの、遺言についての予備的知識を持たず、かつ右のような精神状態にある半四郎が自らの判断でこれを作成したものとはとうてい考えられず、本件遺言書の作成状況及びその内容に照らすと、半四郎は被告秀雄に指図されるまま意味も判らずに本件遺言書を作成させられたものと見るのが至当である。

六、再抗弁に対する認否及び被告の反論

原告らは、本件遺言は半四郎の心神喪失の状況下にされたものであって、同人の意思に基づかないものとして無効であると主張する。しかしながら、次のとおり本件遺言は有効である。

1. 法が遺言に法的効力を認める趣旨は、「人の死せんとするや、その声やよし」という思想に基づいているものである。従って、遺言をする時点において、遺言者に意思能力があれば足り、行為能力まで必要としていないものである(民法九六三条)。それ故に、禁治産者であっても、常時、心神喪失の状況にあるとは限らないので、その遺言能力を認めているのである(民法九六二条)。

2. 本件遺言書は、半四郎の意思に基づき、盆休を利用して被告方に里帰りした昭和六〇年八月一四日に本人の自筆により作成されたものである。その文字文脈等から見ても、同人が意思能力を欠いていたとはとうてい考えられない。原告は、被告秀雄が半四郎に指図して本件遺言書を書かせた旨主張するが、同被告と半四郎の学識の違いからしてもその様な事はありえない。また一般的に言っても、遺言書の文字が本人の自筆により作成されており、かつ、その内容が合理的に解釈できる以上、特段の事由がない限り、その遺言書は本人の意思により作成されたと認められるべきである。

3. 半四郎が入園していた養護老人ホームのケース記録票には、本件遺言書が作成された昭和六〇年八月一四日前後の半四郎の言動が記載されている。これによれば、同年八月七日、納涼大会に車椅子で出席し、その後、八月及び九月には特段の記載はない。これらケース記録票は、毎日記載するのではなく特に変化があった特に記載されるものであるから、この期間には特段の変化はなかったものと推測される。従って、これらの状況証拠から判断しても、本件遺言書が作成された昭和六〇年八月一四日時点において、半四郎には遺言をする意思能力は充分あったことは明らかである。

第三、証拠<略>

理由

一、請求原因について

1. 請求原因5の(2)を除く、その余の請求原因事実についてはすべて当事者間に争いがない。

2. 同5の(2)の事実中原告夫婦が半四郎を養護老人ホームに入園させたこと、その際原告政明が半四郎の預貯金・株券等を一時保管し、この中から半四郎の病院費用・看護費用等を出費することになったことについては当事者間に争いがなく、その余の事実については、成立について争いのない甲第三号証、甲第五号証の一ないし三調査嘱託の結果(甲第一〇号証)及び原告智子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によってこれを認めることができる。

二、そこで、本件遺言の効力について検討する。

1. 原告智子及び被告秀雄各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件遺言書に書かれた文字は半四郎が自書したものであると認められる。

2. ところで、前掲甲第三号証、第五号証の一ないし三、成立に争いのない甲第一、第二号証、第六号証の一ないし四、第七、第八号証、第九号証の一ないし一〇、証人池本真司の証言及び原告智子、被告秀雄各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると半四郎の生活歴及び精神状態に関して、次の各事実が認められる。

(一)  養護老人ホームへの入園から死亡までの半四郎の言動、病歴等

(1)  半四郎は、明治四五年一月二八日生れであるが、結婚することもなくすごし、昭和四九年に、それまで同居していた妹の中山フサノが死亡した後は全くの独り暮らしとなった。そして、半四郎には「取られるから。取られるから。」といっては昼間でも雨戸を閉めきって家にとじこもり、釘を打った板を家の回りに立てたり、天井を竹槍で突く等の被害妄想の存在を窺わせるものや、昭和五三年ころには突然上京して、三木総理大臣に面会すると称して警察に保護されるという誇大妄想の存在を窺わせるものなどの異常な行動がみられたうえに、昭和五四年一一月ころには、原告夫婦ら近隣居住者やホームヘルパーらの援助にもかかわらず、日々の炊事にも事欠き食事を満足にとることもできないまま、遂には、栄養失調状態となった。そのため原告夫婦は、被告夫婦と相談のうえ、同月二五日半四郎を<編集注・略>内海病院に入院させ、更に昭和五五年二月二五日、半四郎が同病院を退院すると同時に養護老人ホーム(以下「老人ホーム」という。)に入園させた。

なお半四郎の右内海病院入院時の病名は、栄養障害・腎石、肺結核、老人性精神障害(老人性痴呆)であり、右在院中も、半四郎には、食事が終わってすぐに「ご飯まだか。」と付添の者に催促したり、便器の中に紙切れや食物を入れたり、ベッドからぬけ出して徘徊する等の奇行がみられた。

(2)  昭和五五年二月二五日の老人ホーム入園後から昭和六一年一月二二日に同老人ホーム在園のまま死亡するまでの半四郎の病歴は次のとおりである。

<1> 昭和五五年七月二三日に脳血栓症の発作をおこし左片まひ状態となり、同年八月一日から同年一二月二四日まで内海病院に入院。

<2> 昭和六〇年三月一五日虫垂炎のため土庄中央病院にて虫垂切除手術を受け、同月二五日まで入院。

<3> 同年一二月一一日脳梗塞(再発作)により、四肢まひ状態で内海病院に入院し、昭和六一年一月二二日同病院で死亡。

(3)  右老人ホームのケース記録票(甲第五号証の二)中には同ホーム在園中(但し昭和五八年四月一日以降)の半四郎の行動記録として、次のとおりの異常な挙動が記載されている。(証人池本真司の証言及び弁論の全趣旨によると、右ケース記録票は、担当の寮母が半四郎の日々の生活状況の中で特に目立った行動等があった場合にその都度記載したものであって、同ホーム在園中半四郎にはこれに記載されたとおりの行動があったものと認められる。なお括弧内の年・月・日の記載は、当該行動があった日付である。)

<1> おむつをはずし、床に排尿する。(昭和五八年四月七日)ごみ箱の中へ大便をする。大便を手でいじる。(昭和五八年五月一七日、八月一一日、一〇月二五日)便をベッドの下に置く。(昭和五九年三月五日)

<2> ベッドから降り徘徊する。廊下を這い回る。(昭和五八年四月二六日、五月九日、一〇月三〇日、一一月一七日、同月二三日、昭和五九年一月二九日、二月五日、九月二五日、一一月二〇日、同月二六日、一二月四日、同月一〇日)

<3> 何でも自分の持ってきたものだと思って人の物でも取ろうとする。(昭和五九年六月二一日)

<4> 死亡している父親がまだ生きていると思っているのか、しきりに「こなかったか、どこへ行ったんだろう。さがして欲しい。」と言う。(昭和五八年六月三日)

<5> 前夜の納涼大会の事を聞いてもなにも覚えていない。(昭和五八年八月一一日)

<6> 実際は被告秀雄が面会に来ているのに原告政明が来ていると言って間違える。(昭和六〇年一〇月八日)

(二)  半四郎の内海病院入院時の病名中老人性痴呆症は、次のとおり病状及び経過をたどる疾患である。

(1)  老人性痴呆症の原因・病理所見・症状等

同症は、老年期におこる痴呆疾患のうち原因不明のものの総称であるが、病理学的には脳の神経細胞の萎縮・脱落等の老人性変化が認められ、その中軸症状は痴呆と人格変化である。<1>記憶障害のなかでも、特に記銘障害が目立ち、新しい出来事を忘れがちで、数分前に食事したことやいま会った人のことも忘れてしまう。はなはだしくなると自宅の住所・年齢・家族の名前も忘れてしまう。<2>この記憶の欠損を繕うためのでたらめな作り話(当惑作話)がしばしばみられる。<3>また場所や時間の見当識も失われ(失見当識)、自分の居場所がわからなくなったり、外出して迷子になることも多い。家族や知人の顔を忘れ他人と見誤ることもある(人物誤認)。<4>計算力、理解力も低下し、簡単な計算ができなかったり、相手の話もよく理解できない。<5>人柄の変化は特徴的で、あいさつ応対などは一見もっともらしいが、相手への配慮に欠け、しゃべっている内容や行動はその場の状況にそぐわない。<6>周囲に対する関心や積極性が薄れ、思考内容も貧弱で語彙も少なくなり、日常的判断力も著しく低下する。<7>感情面では上機嫌なことが多いが、感情の起伏に乏しく、繊細な感情や道徳感情もしだいに失われる。人の物を盗んだり、物を拾い集めたり、わいせつ行為、破衣行為、徘徊、叫声、不潔行為、弄火など異常言動がみられたりする。夜間不穏・夜間せん妄を示すこともまれでない。<8>また経過中、特に発病初期に幻覚や被害・関係・嫉妬・罪業・誇大・心気妄想がみられることもある。なかでも「盗まれる」「殺される」などの被害妄想が最も多い。

(2)  老人性痴呆症の経過・予後

同症の経過は緩慢であるが、常に進行性で末期には屎尿失禁を伴う荒廃状態となる。予後は不良で全経過五ないし七年で感染症や心疾患を併発して死の転帰をとる。

以上のとおり認められる。被告秀雄本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。

3. 以上のとおりの老人性痴呆症の症状・経過と半四郎の老人ホームへの入園から死亡までの言動・病歴等を対比すると、半四郎は典型的な老人性痴呆症の症状を示しながらその症状が進行し、遅くとも昭和五八年ないし昭和五九年ころには既に「ごみ箱の中に大便をする。」「大便を手でいじる。」「徘徊する。」等の行動や被告秀雄と原告政明とをとり違える人物誤認、父親が死んでいることや前夜の納涼大会のことも覚えていないなどの著しい記憶障害等の症状を呈していたものであって、これは、典型的な老人性痴呆症の、それもその末期の荒廃状態の症状と認められる。しかも前記のとおり老人性痴呆症は常に進行性であり、前記証人池本真司の証言によっても老人ホームでは半四郎の老人性痴呆症に対する特段の治療を試みたことは認められず、その他半四郎の右症状が特段の改善を示したとも認められないから、本件遺言のなされた昭和六〇年八月ころにおいても半四郎は老人性痴呆症の末期の荒廃状態にあったものと認められる。そして、このことに、前記2(一)(3)の老人ホーム在園中の半四郎の行状、就中その<6>のとおり被告秀雄と原告政明との識別すらなし得ていない事実(もっとも、この点は昭和六〇年一〇月八日のことであって、本件遺言がなされた後のことであるが、僅か二か月後のことであって、本件遺言時においても同様の症状にあったものと推認できる。)その他前記ケース記録票(甲第五号証の二)にあらわれた半四郎の行状を総合すると、本件遺言のされた昭和六〇年八月ころには半四郎は自己の行為の結果について合理的な判断をする能力(意思能力)を大部分の時間において欠いた状態である「心神喪失の常況」にあったものと認められる。

そうすると、民法九七三条の規定の趣旨に照らし、本件遺言時において半四郎が本心に復していたことを窺わせる特段の事情が認められない限り、本件遺言はこれをするに必要な意思能力を欠く状態下でなされたものと事実上推定することができると解するのが相当である。

4. そこで次に右の特段の事情の存否について検討する。

(一)  その記載から本件遺言書であることが明らかな乙第一号証の一、二、被告秀雄本人尋問の結果及び調査嘱託の結果(甲第一〇号証)によれば、本件遺言は半四郎が被告秀雄に連れられて老人ホームを出て同被告宅に外泊した昭和六〇年八月一四日に、同被告宅の応接間において、同被告だけが半四郎の側にいる状態のもとで、作成されたものであることが認められる。

(二)  ところで、本件遺言の作成状況について被告秀雄は次のように述べる。すなわち、「半四郎を連れ帰ったのは午前一〇時ころであるが、それから三〇分位休んでから、急に半四郎が遺言書を書くから紙とペンを出せと言い出した。」「半四郎は応接間で、他の者は向こうに行けと言って外に出させ、自分(被告秀雄)だけが見守るなかで三〇分ないし一時間くらいかけて、手本になるものを見たり、下書をすることもなく、文句も全部独りで考えて本件遺言書を書いた。そして最後に判を押し、成瀬司法書士のところへ本件遺言書を持って行くように言った。」「内容について相談を受けたことも、このように書けと助言したり指図したこともない。」「半四郎は頭がおかしいようなことはなく、感心するほどしっかりしていた。」以上のように述べて、本件遺言時、半四郎は合理的な判断能力があり、その意思に基づいてその全文を自書し、押印して本件遺言書を作成したものであって、遺言をするについて十分な意思能力を有していた旨主張する。

しかしながら、右供述は次のとおり不自然・不合理であって措信することができない。すなわち、

<1>  遺言は、厳格な方式の具備を要し、自筆証書遺言では「遺言者が、その全文、日附及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」とされているところ、法律の知識をもたない素人が右のような法定の方式に適合した有効な遺言書を直ちに作成することは一般に困難である。ところが本件遺言書(乙第一号証の一)が右の方式を具備しているものであることはその記載自体に照らして明らかであるところ、被告秀雄の述べるところによっても半四郎があらかじめ遺言書を作成すべく準備して同被告方に赴いたものとはとうてい考え難い状況にある(同被告本人尋問の結果によると、半四郎は老人ホームに自分の印鑑を持っていながら同被告方には持参せず、本件遺言書に押捺されたのは同被告方で保管していた中山名義の印鑑であることが認められる。)うえ、そもそも半四郎には前認定のとおり老人性痴呆症による著しい記憶障害があったことを併せ考えると、被告秀雄が述べるように半四郎が手本になるものを見ず、また何らの助言、指導を受けることもなく本件遺言書をすべて独りで作成したとすることは著しく不合理かつ不自然である。

<2>  また本件遺言書には、遺言者たる半四郎の住所、受遺者である被告らの住所の細かい番地まで正確に記載されているが、この点も半四郎の右老人性痴呆症の症状に照らすと被告秀雄の前記供述は不合理というほかない。

<3>  更に、本件遺言書中には、「私は遺言する」「右は私が自書し印を自分で押した」等の記載があるが、これらの記載は、他人の意思の介在なしに本件遺言書が作成されたものである旨をことさら強調する趣旨で書かれたものであることが明らかであって不自然である。また本件遺言書中には「小供」と「子供」という二種類の文字が混用されているが、被告秀雄本人尋問の結果によると、右「小供」という文字は被告秀雄が普段間違って使用している文字であると認められる。

(三)  そして、右(一)及び(二)の<1>ないし<3>の諸点に加え、原告智子、被告秀雄各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告夫婦と被告夫婦間には、半四郎が所持していた現金・株券の管理に関して調停の申立てがなされたり、原告夫婦らが半四郎の所有する農地を耕作していることをめぐっては、時には警察沙汰になる等本件遺言がなされる前から半四郎の所有する財産をめぐる紛争があり、被告秀雄は原告夫婦が半四郎の現金・株券を管理したり、農地を耕作したりしていたことに強い不満を持っていたこと、更に同被告は昭和六〇年中の本件遺言がなされるより以前に、半四郎と同被告の娘夫婦とを縁組させようと画策していること(もっとも養子縁組は娘の嫁ぎ先の反対で実現しなかった。)などの事実が認められることを総合すると、本件遺言書は、老人性痴呆症により意思能力を欠いた状態下にある半四郎に対し、被告秀雄が指図して同被告の意のままの内容を記載させたものとの疑いを否定し難い。そして、他にこのような疑いを否定し、本件遺言時において、半四郎が本心に復していたことを窺わせる特段の事情を認めるに足る証拠はない。

5. 以上によれば、本件遺言は、半四郎がその意思能力を欠如した状態下でしたものとして、その効力を有しないものというべきである。

三、よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙)遺言書<略>

財産目録<略>

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